松毬コロコロすとーんず沼に落ちちゃった

非ジャニオタによるスト担体験記

夏の終わりに推しの皮を被った”王”を観た

スタンディングオベーション(2021年8月26日@赤坂ACTシアター)を

観劇して参りましたので、その感想をつらつらと。

千秋楽までに間に合わせたかったけど無理だった(平常運転)

ネタバレはめっっっっちゃしますからお気をつけください。

 

倅には申し訳ないことをした

舞台を見に行くこと自体には慣れている方だという自負がありますが、

如何せん自分は生身の人間を推すことがほとんどない人間でしたので、

作品タイトルではなく「主演俳優」を根拠に観劇の予定を入れるのは人生初。

申し込みの時点でなんかもう照れくさい。

 

で、まさか当たらんだろうと思っていたのに当たってしまい、大慌て。

まずはじめにしたことは倅(小5・スト担)への謝罪でした。

だってチケット1枚しか取れてないんだもの。

彼には「1名義につき1席しか取れないシステムで云々……」と説明し、 

渋々ではあるもののご理解をいただいた上で、ようやく入金と相成りました。

入金もなんか照れくさい。

 

そこからしばらく経ってチケットが届きますが、

いまだにやっぱり「ジャ」の名の刻まれた封筒を受け取るのは

ストレートに照れくさい。

 

芝居のチケットが手元に届く(あるいはデジチケが発券される)と

速攻で劇場サイトにアクセスし、座席の位置を確認する習性があるオタクなので、

「コロナの前になんの気兼ねもなく観た最後の舞台が赤坂ACTだったなあ」

なんて懐かしみながら座席表をチェックしてみたところ……

良席すぎて照れる。

照れながら倅に謝る。

ごめんて。ハーゲンダッツ買ったげるから許して。

 

そして当日。1年8ヶ月ぶりの赤坂ACTシアターへ。

この日のためってわけじゃないけど、ばっちり3週間前にワクチン2回目摂取済み

駅から近いので、心の準備ができる前にでっかいポスターがドーン!

みんな撮ってるからつられて写真撮りながらもやはり照れる。

 

パンフ購入は観劇前が信条(ただし中身を見るのはお家に帰ってから)なので、

早速物販に並びましたが、最近よく観てる2.5次元舞台に比べるとちょっとお高め。

主演俳優の顔面がドーンみたいな表紙だったら照れちまうぞ? って危惧したけど、

全然そんなことはない、シンプルでシックな表紙。

受け取った瞬間「これでこのお値段は逆に安い」と確信するに至る豪華ハードカバー

パンフの表紙も会場内のポスターも『スタンディングオベーション』ではなく

『ジョージ二世』のものになっているというこだわりの仕掛けにワクワク。

 

劇場内に入ると、正面舞台上にはいくつものモニターが。

会場の至る所に設置された監視カメラの映像(おそらくリアルタイム)が映し出されていて、

「噂通りの観客巻き込まれ型演劇なんだな」とさらにワクワク。

吊るされてる照明の向きとか音響卓の場所とかを気にして

キョロキョロしてしまう癖があるので、

もうここら辺では照れはどっか行ってましたね。

 

照れは解消されたものの、倅への申し訳なさは最後まで拭い去ることができず。

帰りにハーゲンダッツ買って帰りました。

 

演出家・チャーリー木下氏への期待とドヤるオタク

かれこれ6年くらい前になるんでしょうか。

いろいろあってしばらく観劇から遠ざかっていた筆者は、

友人に誘われ観に行ったとある演劇作品に度肝を抜かれます。

その作品の名は『ハイパープロジェクション演劇・ハイキュー!!(初演)』

 

週刊少年ジャンプの人気作品の舞台化というのはこれが初めてではありませんでしたが、

「ミュージカルじゃない」というのが当時結構な話題になっていました。

一応ほんのちょっと演劇をかじっていたことのある筆者としても、

「歌って踊る」という手法以外でバレーボールの試合を表現する術があるのか?

と、内心疑ってかかる一方、

『ハイパープロジェクション演劇』という聴き慣れない言葉にワクワクしながら観劇。

 

結果。

斬新なアイディアと緻密な計算、圧倒的臨場感と高度すぎる身体表現の応酬に、

度肝という度肝を全部引っこ抜かれて内臓が空っぽになりました。

とんでもねぇ世界に連れて来られちまったなと、白旗をバッサバッサ振りました。

その白旗を振った相手=演出家こそが、鬼才・チャーリー木下氏だったわけです。

 

自分は前述の通り、三次元の推しを推すことに対していまだに照れを捨てきれない

往生際が極めて悪い矮小なオタクなので、

「演出・ウォーリー木下」という情報が入らなければ、

もしかしたらチケットを申し込まなかったかもしれない。

だっていくら推しの舞台とは言え、つまんねぇ芝居にお金払いたくないもの(ドケチ)

 

ですので今回の舞台、「推しの主演作品」というのと同等レベルで

「推し演出家の作品」という点でもめちゃめちゃ楽しみだったわけです。

 

しかもしかも、そこに加えて、先日のパラ開会式ですよ。

プロジェクションマッピングの使い方上手いなぁとか、

いろんな場所で同時多発的にいろんなことが起きてるけど、

見るべきところは絞られてて見やすいなぁとか、

ストーリーにこじつけ感がないなぁとか、

それでいて遊びもちゃんとあるなぁとか、

良いキャスト選んでるなぁ、などと感心しながら拝見しとりましたら、

演出ウォーリー木下だってさ。

納得だよ!! なるほどね!! そうだろうね!!

我らがジェシー、すげぇ人の舞台出てるんだな。

オタクは勝手に鼻が高い。ドヤ顔が止まらない。

 

そんなこんなで、期待値ガン上げハードル雲の上状態で観劇するに至った

スタンディングオベーション』。

やはり期待通りの面白い仕掛けが満載でした。

 

前章で触れた通り、舞台上にはいくつものテレビモニターが吊るされていて、

これらは劇中、スムーズにフォーメーションを変えながら出たり入ったりするのですが、

そこに映る多彩な映像が、

この物語は「今・ここで」起こっている出来事なんだ

ということを、鮮烈に主張してきます。

 

モニターに映るのは8割くらいが監視カメラの映像で、

劇場のエントランスやロビー、階段、客席、楽屋、建物の外など、

代わる代わる常に人々の動きを捉え続けています。

あれを見て「もしかして自分も映るかも??」

って思わない客はほとんどいないでしょうから、

このモニターの存在一つで、なんなら開演前から既に

観客の「自分も巻き込まれてる感・参加している感」を演出できているわけです。

ANNで田中樹が「緊張しちゃった」って言ってたのも頷ける。

 

劇中、演者がロビーに出たり、楽屋のあたりをウロウロしたりする姿も

モニターでつぶさに確認できるわけですが、

この映像に関しては事前に収録したものなのではないかなぁと推し量りつつ、

いや、この芝居のことだからリアタイで演じててもおかしくないぞとも思い、

でもそうやって裏側を勘繰るような見方をやめてしまえば、

ナチュラルにリアタイにしか見えない。

 

しかも、舞台上の舞台裏の俳優たち(ややこしい)

つまり『スタンディングオベーション』の舞台上にいる

『ジョージ2世』の舞台裏のキャストとスタッフ役の俳優たちも、

観客と一緒になってモニターを見て、同じタイミングでリアクションしてるわけで、

こんなもん相当楽しいですよ。(語彙力)

 

さらに、これは演出以前の企画や脚本のお仕事の範疇かもしれませんが、

とにかくまず設定からし「今・ここで」を徹底する仕掛けがたくさんでしたね。

国会議事堂から近い赤坂という立地を存分に生かした、

議員の殺害事件という「ありそう」な展開。

要所要所でモニターに映し出されるテレビ番組も、

これまたTBSのお隣という立地をやりすぎなくらい生かしたおもしろ展開。

ひるおびが始まって恵さんが喋り出した時には声出して笑った(本当は出してない)

若干心配なのは、これ京都でやる時はどうすんの? ってことなんですけど、

まあきっとなんとかしたんでしょう。

 

モニターの話が長くなってしまったけど、次はの話をします、

観劇する前、筆者は公開されているあらすじを読みながら

「劇中劇とその舞台裏を同時に描くのって難しくない?」って首を捻っていました。

そういう戯曲は珍しくはないけど、考えられるパターンとして、

劇中劇と舞台裏を交互に、いちいち暗転・場転を挟みながらやるとか、

舞台を真ん中で区切って、上(かみ=右側)と下(しも=左側)で場面を分けるとか、

一段高いステージを作って、上(うえ)と下(した)で分けるとか、

あとは手前と奥で分けるとか……

まあどれを選んでもせせこましい芝居になってしまいそうな危惧があったわけです。

で、結果としてはどうだったかというと、

考え得るあらゆる手法のハイブリッドでした。

 

前提としてはステージとバックステージを交互に描く構成であり、

バックステージのときには前述のモニターが降りてきて、

小道具置き場の棚や、衣装掛けや、舞台監督の座席などが出てきます。

で、劇中劇のシーンになると、

だいたい7尺四方くらい?の箱型の装置がいくつも出てくるのですが、

この箱がとにかくすごい。

MVPと言っても過言ではない。いや、MVB(ボックス)か。

 

それなりの高さがある頑丈な箱は、側面が不思議な素材になっていて、

真っ黒な箱に見える時もあれば、

アクリル板で囲われた巨大水槽のようになって中に入った演者が見える時もあるし、

とにかくまあよく動く。

印象的だったのは、箱の上や前方で繰り広げられる『ジョージ2世』の重要シーンを、

箱の中=舞台裏にいるスタッフや刑事たちが見守っている構図。

なるほど、そうすれば完全な同時進行で表も裏も見せられるし、

その場面が終わればまた箱が動いて別の見せ方に変わるから

せせこましくもならない。さすが。

 

可動式の舞台装置がめちゃめちゃに動き回る芝居というのは実は結構見慣れていて、

それこそ2.5次元ではよくあるんですよね。特に赤坂ACTくらいのサイズだと尚更。

一つの装置が複数の役割を持つこともしばしばで、

それを芝居中の役者たちが自らガンガン動かしたりすることもあるので、

見る側としてはちょっとハラハラもしつつ、興奮してしまうわけで。

今回の箱型装置はそこまで激しく動きはしないものの、

ときに王宮の床になったり、役者たちが本音を語らう舞台袖になったり、

本来見えないはずの舞台裏を見せてくれる透明の壁になったりと、

思わず唸る工夫がこれでもかと詰め込まれていました。

しかもこの壁、鏡にもなるんですよね。

客席に向けられた大きな鏡に映った我々は、

スタンディングオベーション』の客ではなく、

『ジョージ2世』の客の姿なのだ、と解釈しました。

 

この章の最後に、派手ではないけどじわじわ面白かった演出について。

『ジョージ2世』は「客が寝るほどつまらない芝居」という設定だったわけですが、

この「つまらない芝居」を絶妙につまらなく再現していたのが本当に巧みでした。

実力のある役者を揃えているので壊滅的に駄作にはならないけど、

配役はチグハグだし、セリフは仰々しいし、突然ショータイムみたいのはじまるし、

どうしても睡魔に抗えなくなっちゃうよね、って程度の、

ものすごーくちょうどいいラインのつまらなさがお見事。

 

刑事に「これ面白いの?」と訊ねられたプロデューサーは

「芸術だから」と開き直ってしまいますが、なぜ開き直るかというと、

つまらないのはわかってるけど、

どうしてつまらなくなってしまったのか、

どうすれば面白くなるかがわからないから開き直るわけです。

これっておそらく実際の演劇の現場でもしょっちゅう起こっている現象なはずで。

 

しかし『ジョージ2世』と違って『スタンディングオベーション』の作り手は

つまらないものが出来上がってしまう仕組みをよーく知っているから、

「絶妙につまらない芝居」をリアルに描ける。

面白いものの作り方をちゃんと知っているから、

「アート」に逃げず「エンタメ」に昇華できる凄みがある。

 

いやぁ、ほんと、ウォーリーさんすごい。

オリ○ピックの開会式作ったやつに爪の垢煎じて飲ませたい(突然の暴言)

 

 

悪運強すぎオタクと相棒の話(という名目の自慢話)

コロナの前には年間3〜4本ペースで観劇していましたが、

自分で言うのもなんだけど、結構座席運は強め

でもチケット運はそこそこなので残念な結果も少なくないけど、

「チケットさえ取れてしまえばあとは任せろ!」 くらいのつもりで生きています。

 

それにしたって。

今回はちょっとすごかったです。

人生最高の良席。これを超えることは今後ないでしょうおそらく。

お察しかと思いますが、この章はただの自慢話です。

あのね。

筆者の隣に寺脇さんが座ったんですよ。

 

前方ブロックが8列あって、その後ろ、広めの通路を挟んだ9列目、

下手ブロックのセンター寄りって時点でもう勝ち確。

風の噂で「キャストが客席に来る」っていうのは聞いてたんですよ。

こんなもん絶対目の前通るじゃん。

あと単純にトイレとか行きやすいしね。

 

ホクホクしながら開演を待ってたんですが、

せっかくの良席なのに、左隣の人がなかなか来ません。

結局、ベルが鳴って客席が暗くなっても誰も現れませんでした。

このとき筆者は「もしや」と思います。

これひょっとするとひょっとして、演出のために空けてる席じゃね?

 

開幕早々主演のセリフが長くてハラハラしちゃったので

そんな思考は一瞬で吹っ飛んでしまったのですが、

あれは開始30分くらいなのかなぁ。

悪運つよつよオタクの予感は的中します。

 

客席に逃げ込んだ殺人犯を探すため、

案内係の女性の制服を拝借した二人の刑事が、

遅れてきた客に扮したプロデューサーとともに客席に侵入。

こっそり座席を見て回るはずが、

うっかり目立ってしまい、あわや舞台が台無しに? という場面。

 

あの寺脇康文さんが。

隣の空席に。

思いっきり座りました。

……ひえぇぇええええ!!!!!!

 

時間にしたら10秒かそこらだったと推察しますが、

めっちゃ長く感じました。

高校生のとき車に撥ね飛ばされて

見るもの全てがスローモーションになる経験をしたんですけど、

それに近い感覚。(ちなみに悪運つよつよなので骨折すらしなかった)

脳裏を走馬灯っぽいもんが流れましたもん。

なんならあのテーマ曲の幻聴も聞こえる。

人生で一番暇だった学生時代、平日昼間は大体『相棒』の再放送見てたからね。

亀山くんのシリーズなら少なくとも3周はしてる。

その亀山くんですよ。あの薫ちゃんだよ。

てかその前の週のANNのジングルでルパンの真似とかやってくれた人だよ。

それがいま、隣、ってか、えっ、近っ、はっ? 近いな!?

 

多少予想してたくせにこの為体ですから、

正直、そこで何が起きてたかはちゃんと把握できてません。

こんなとこ座っちゃダメだよ的な、目立つなって言ったでしょう的な、

そんなやりとりが行われていたような気がする。

あと、「ご迷惑おかけしてすみません」的な目配せももらった気がする。

とりあえず嬉しくて楽しいことは伝えなきゃなと思って、

めっちゃ笑っときました。

マスクしててもわかるように目で笑うよう意識したので、

冷静に考えたらものすごくキモい顔になってただろうな……。

以上、悪運キモキモオタクの自慢話でした。

 

こんな〇〇〇〇見たことない!

お気付きだろうか。

ここまでで既に6千字以上書いているにも関わらず、

この筆者、ほとんどジェシーの話をしてない

外堀埋めすぎて山脈になってる。

さーて、いい加減主演俳優の話をしましょうね。

 

事前に得た情報によると、我らがジェシーの役どころは

「客寄せパンダとして呼ばれ不相応な役をやらされるイケメン俳優(要約)」

……いやいや、これをよりによってジャニーズにやらせるとか、

ものすごい皮肉じゃないか! となぜかワクワクしてしまう筆者。

 

予想できるキャラクターとしては、

大した実力もないのに人気があるからと天狗になってる青二とか、

あるいは、

自分の事務所の我儘に周りを巻き込んでしまった申し訳なさで萎縮する小心者とか、

他にもいろいろなパターンの俳優像が思い浮かびましたが、

蓋を開けてみたら想像以上に「THE・ジェシーでびっくりでした。

 

冒頭の長台詞はまったくジェシーっぽくなかった。

めっちゃ日本語上手かった。

よく覚えたねえらい!ってなった(全自動過保護マシーン)

 

ジェシーにとって、そして鳴島誠也くんにとっても懸案だった

「75歳の王」を演じるにあたっても、一生懸命試行錯誤した上で、

とにかく堂々と振る舞おう! と頑張っている感があり、

「冒頭はちょっと下手くそめに演じたりするのかな?」などと勘繰ってた者としては

立派じゃんえらい!ってなった(全自動過保護マシーン)

 

一方、コミカルな舞台裏のシーンでは、

より一層ジェシーみの強い誠也くんになります。

事前情報では「イケメン俳優」とありましたが、

実際は「飛ぶ鳥を落とす勢いのトップアイドル」とのことで(ジェシーじゃん)、

しかもそれを本人がボケとして自称しちゃうんだから憎めない(ジェシーだね)。

 

諸々の「忖度」や「大人の事情」に関してもかなりオープンで、

巻き込んでしまった皆様に申し訳ないという気持ちもなくはないけど、

それが原因で卑屈になることはないというか、

「芸能界なんてこんなもんでしょ?」的な開き直りすら見受けられるので、

そこもちょっとジェシーと重なるというか、

誠也くんもきっと芸歴長いんだろうなって思った次第。

 

役に対する不安もあるし、それを口にしてしまう素直さもあるけれど、

ただの客寄せパンダで終わっちゃいけないという意地と、

「何事も経験」的なチャレンジ精神も持ち合わせていて、

その上ムードメーカーでもある。

そんな彼を、「娘役」は息子のように見守っている(複雑)し、

「演助」は叱咤してくれるし、

ベテランも若手もみんな「せいや」「せいや」と声をかけて盛り立ててくれて、

彼が表舞台のみならずバックステージでも人気者であるということがよくわかります。

事件をきっかけに誠也くんは大きく成長するわけですが、

それ以前から既にちゃんと彼中心のカンパニーが出来上がってるんですよね。

本人にそのつもりはないかもだけど、座長としての役割は果たせちゃってる。

引っ張っていく「リーダー」というよりは、

いつでも真ん中にいる「センター」という感じの座長。

いや、もう……ジェシーじゃん。

いや、ちゃんと鳴島誠也くんなんだけど。

とにかく、こんな当て書き見たことない!

 

当て書きっていうのは、ざっと説明すると

「先に役者が決まっていて、その人に合わせて脚本を書く」って手法のこと。

有名どころだと三谷幸喜がよくやると言われていますが、

「この俳優にこれを演らせたらハマるだろう」

「この俳優のこんな役を見たい」という「夢」を実現させる

一点もののオーダーメイド的な脚本に仕上がるのが当て書き。

と筆者は認識しています。

 

脚本も演出も役者も(ときには観客でさえ)みんな身内で、

手の内がほとんどバレてるミニマムな組織(学校の演劇部とか小さい劇団とか)だと、

必然的に当て書きみたいになっちゃうことが多々ありますが、

名立たるプロデューサー・脚本家・演出家が揃い、

様々な経歴・世代の俳優陣が集結し、

大手マスコミの主催でもってお送りされる舞台で、

こんなにも当て書きっていうのは珍しいんじゃないでしょうか。

そうでもないのかな。どうなんでしょう。

 

鳴島誠也という架空の人物の経歴やキャラクターは、

ジェシーという実在の人物に可能な限り寄せて作られているし、

劇中劇で演じるのが「王」の役だという設定も、

ステージ上でのジェシー「王者の風格」を知ればこそ作れたもののような気がするし。

 

もちろん絶妙にジェシーとはズラしている部分もあって、

「お父さんが名俳優」というのがその最たる例なわけだけど、

これもどこかすごーく身近で聞いたことがある設定なんですよね。

故人って部分は全然違うけど、ある程度SixTONESを知ってくれてるお客さんなら

「おやおや……?」ってならずにはいられないところでしょうし、

そうなるのを狙ってやってる可能性も低くない。てか高い。

 

脚本にセリフとしてあったのか、

アドリブでやったものがお決まりのパターンに進化したのかはわからないけど、

エリザベート』をネタにした会話も毎回あったみたいだし、

とにかくこの芝居はジェシー」そして「SixTONES」という存在が

最初から最後までずっと付き纏ってくる芝居なわけです

ただでさえ『ジョージ2世』という舞台とその裏側を同時に描く二重構造なのに、

「トップアイドル役を演じるガチトップアイドル」というものを常に意識させられる

三重構造になっていると言っても過言ではない。

 

であるとすれば、この芝居は

ジェシージェシーによるジェシー(とそのファン)のための芝居」だったのか。

それは「否」だと筆者は思います。

どんなに演者のパーソナリティに寄せていても、

物語は徹頭徹尾、鳴島誠也とカンパニーの特別な1日を描くものとして

しっかり機能していました。

 

そこには誠也くんを取り巻くストーリーだけではなく、

例えば、かつて袂を分かった元夫婦の愛の再生の物語だったり、

とある青年の苦悩に手を差し伸べようとした名優の嘆きだったり、

「演劇」という世界に魅了され翻弄される人たちの情熱だったり、

そういった数々の胸を打つ要素を練り上げながらラストへと突き進む、

群像劇としてのバランスもとても素晴らしかった。

 

スタンディングオベーション』は、

劇中劇『ジョージ2世』のような忖度まみれの興行ではない。

それに、客寄せパンダとして主演に据えるのではなく、

喜劇俳優としての才能を開花させるためジェシーを起用した。

それくらいの壮大な意図のある芝居だったように思います。

 

そんな製作陣の目論みと期待に気付かないほど鈍感な人ではないから、

ジェシーにかかるプレッシャーはとんでもなく重かったことでしょう。

そりゃもう誠也くんの比ではないくらい。

メンタル面の負担だけでなく、フィジカル面でも毎日喉をバグらせながら、

本当によく全公演走り切れたなって、ただのオタクですらホッとしちゃって

祝杯だ! 酒持ってこい!ってなる。

 

ステージから滲み出る座組の雰囲気もとても良さそうで、

そりゃジェシーみたいなのと寺脇さんがいたらそれだけで楽しいのは確定だけど、

もし自分が共演者あるいはスタッフだとしたら、

こんなにもメタい内容を正面から全力で演じきる座長のことを

尊敬せずにはいられなかったんじゃないかなと想像します。

 

物語のクライマックス。

客席に潜む咎人に伝えたい想いが溢れ出した誠也は、

75歳の王の仮面を脱ぎ捨て、たった一人に向けて語りかけます。

この時点で、『ジョージ2世』は芝居としては破綻してしまったし、

事件のことをまだ知らされていない観客は驚いて目が覚めたかもしれない。

でも、事情を知る共演者、スタッフ、刑事、そして一人の青年の心には、

彼の飾らないまっすぐな言葉は強く深く響いたはず。

 

役を降りたその瞬間も、彼は"王"たる人間だった。

そんな鳴島誠也像を生み出し、演じ切った、

ジェシーのカリスマ性がまじぱねぇ(全自動褒めちぎりマシーン)って話でした。

 

秋元氏と某大手芸能事務所に関する推察

ここから先は純度100%の蛇足ですので、

9千字読んでもまだ元気!って方だけどうぞ。

 

再三言っとりますが、『スタンディングオベーション』は

めちゃめちゃメタい芝居でした。痛快な程に。

こんなにメタくて、色んな意味で挑戦的(いっそ挑発的)なプロジェクト、

秋元氏プロデュースじゃなかったら許されなかったんじゃないかとも思います。

 

氏には、常人には考え及ばないとんでもないアイディアと、

そのとんでもないものを実現させる権力があります。

そんな大物がこのコロナ禍に満を持して仕掛けてくる新作舞台の

主演に選ばれるジェシー=デビュー2年目ってまじすごい(全自動以下略)

 

いやはや、それにしても。

よく事務所許したな。

 

劇中、誠也くんの所属事務所の名前は一文字も出てこなかったけど、

日本にずっと住んでて人並みにテレビを見たりしている人なら

誰もが「ジャニーズのことか?」ってなるわけで。

「主演しか受けない」なんてセリフを聞くと

「やっぱりジャニーズのことじゃん」ってみんな納得しちゃうわけで。

 

いや、もちろん事実としては、主演しか受けない事務所ではないけどね。

それはある程度ジャニーズ帝国への入植が進んでいる人は知ってることだけど、

世間一般の平均値を取ったら「主演かバーターか」ってイメージが強いわけで。

実際、劇場でも誠也くんの事務所ネタはかなりウケてたから、

みんな考えてたことは同じなんじゃないかなって思う次第。

だからよく許したな事務所、って感心するんですけど、

やっぱりそこにも秋元氏のネームバリューが関わってくるんでしょうか。

 

秋元氏とSixTONESと言えば、

どうしたって『バカレア』のことを思い出さずにはいられません。

筆者はリアタイで見てたわけじゃない、というか存在も知らなかった新参ですが、

沼にハマりかけの頃、ちょっと調べたらすぐぶち当たりました。

そして思いました。

なんで彼らはバカレアの時にデビューできなかったんだ? って。

 

真相は深くて暗い藪の中にあるので、自分にできるのは「もしもの話」くらい。

もし、あの頃、あの6人があの勢いでデビューしていたらどうなっていたか。

ひょっとすると、いや、結構高めの確率で、

彼らをスターにした手柄は半分秋元氏と日テレのものになっていたのではないか。

そうなっていたら、「創業者絶対主義の組織」としては

あまり面白くなかったかもしれない。

そんなことも考えてしまったりします。

 

万が一、バカレア組解体の真相がそんなところにあろうものなら、

あまりにも子供じみていてダサすぎるので絶対無いとは思いますし、

結果論として、彼らは2020年にSony Musicからデビューできたのが大正解である

という事実は今更揺らがないので、邪推はこの辺で。

 

結局なにが言いたいかというと、

パンフレットのコメントでも触れてくださっているように、

秋元氏サイドとしてはずっとSixTONESのことを忘れずにいてくれた、

それどころか、随分気にかけてくれていたような気配すらあるということで。

だって、デビューからはもう一年半が経過してるとは言え、

このご時世のことを考慮すると「爆速」とも呼べるスピード感

ご一緒できるお仕事を持ってきてくださったんですよ?

もしかして、SixTONESが売れるのを待ってたんですか? って訊きたくなっちゃう。

 

そんで出来上がった作品が皮肉まみれのコメディときたら、

やっぱなんか確執ありますか???大丈夫ですか??? って訊きたくなっちゃう。

訊きたくなっちゃうけど、「事務所がこの企画を許した」という事実こそが

「確執なんてないよ」っていう答えなんでしょうね。きっと。

 

最後にこれもまた憶測ですが。

秋元氏のみならず、

彼らが売れるのを待ってくれている大人はたくさんいるような気がしてなりません。

そういう方々と”最新のSixTONES”との化学反応

この先も我々を大いに興奮させてくれるのだろうと思うと、

SixTONESのオタクやるのってめっっちゃ楽しいね!!(クソデカボイス)

 

改めまして、ジェシーとカンパニーの皆さん、

全公演完走おめでとうございました!!

これからも怪我なく病気なく素敵な舞台を作り続けていかれますよう

心よりお祈り申し上げます!