松毬コロコロすとーんず沼に落ちちゃった

非ジャニオタによるスト担体験記

Mgirl×SixTONESにみた「ケ」と二つの才能

発売から10日。

ようやく考えがまとまってきたような気がするので、

蜷川実花×SixTONESに受けた衝撃と

そこから派生して思った諸々のこと

について書いていきたいと思います。

 

とは言っても筆者、アート方面には滅法弱く、

写真の正しい見方なんぞわかっちゃいません。

「なんかよくわからんがすげぇ!」

という初見での感想を、10日かけて

「もしかしたらここがすごかったのかもしれない……?」

くらいのレベルに持ってっただけです。

 

例によって長い文章になりそうな予感がしますが、

「そういう見方もあるんだなぁ」

みたいな感じで受け止めていただければ幸いです。

 

 

想定していた蜷川ワールド

 

前述の通り、写真には全然詳しくない筆者ですが、

蜷川実花さんのことはもちろん存じ上げておりました。

今回の話にはまったく関係ないけど、お父様の舞台も見たことがあります。

10年以上前になりますが、演目は藤原竜也さん主演の「オレステス

リアルな水で土砂降りの雨を降らせていたのが印象的でした。

通路側の席だったんですが、吉田鋼太郎さんが朗々とセリフを言いながら

真横を通られて、あまりの気迫に泡吹きそうになったんですけど、

それがいまやおっさんのラブでヒロインですからね。

役者さんってすごい。

……いやほんと関係ない話だった。話戻します。

 

写真素人からすると、蜷川実花さんといえばやっぱり

「花」のイメージが強い!

それと

鮮やかな色彩!

 

日常生活を送る上では絶対に辿り着けないような空間で、

日常生活を送る上では絶対に見かけないような衣装を身に纏った美男美女が、

日常生活を送る上では絶対にやらないような表情・ポーズで写っている。

それが筆者が思う蜷川ワールドでした。

 

そこにあるのは「非日常」で、

「ハレとケ」で言うと圧倒的に「ハレ」寄りの世界です。

同じ写真でも対照的な例を挙げるとするならば、

桑島智輝さんが撮影した妻・安達祐実さんのお写真。

あれはものすごーく「日常」で、生活感に溢れていて、

まさに「ケ」って感じがしますよね。

 

さて、ここで一応「ハレ」と「ケ」の説明も軽くしておきましょうか。

以下はWikipediaからの引用です。

ハレとケ」とは、柳田國男によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。

民俗学文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼年中行事などの「非日常」、(褻)は普段の生活である「日常」を表している。

ハレの場においては、衣食住や振る舞い、言葉遣いなどを、とは画然と区別した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ハレとケ

今でも成人式や結婚式で着るお着物のことを「晴れ着」と言いますが、

この言葉も「ハレ」からきています。

それに対し、昔は普段着のことを「ケ着」とも言ったそうです。

 

この「ハレとケ」の概念を芸術作品の鑑賞に持ち出すのが

正しいのかどうかはちょっとわかりませんが、

自分的には使いやすい言葉なのでガンガン使っていきます。

 

さて、話をまた戻します。

我らがSixTONESがMgirlに起用されたことがわかってから、

筆者も少しは予習しなきゃなと思って、

過去に行われたジャニーズのタレントさんと蜷川氏のコラボについて

ちょっと調べたりしました。

 

すると、そこにあったのはやっぱり

圧倒的な「ハレ」の世界でした。

色とりどりの花弁に囲まれていたり、

中性的な和服を身に纏って妖艶な美を醸し出していたり。

「この男たちは美しすぎるので神様に捧げる供物になってしまいました」

って感じの世界観です。

 

なので筆者は、

「ああ、SixTONESくんたち、ついにお供えされちゃうのか」

と思っていました。

そんな雑な捉え方するんじゃないよ! とお叱りを受けそうですが、

そう思っちゃったもんはしょうがない。

 

ところが、発売日を迎え、実際に手にした御本を開いてみたら……

「なんか思ってたのと違う!」

もちろんこれは「いい意味で」です。

いい意味で裏切られてめっちゃ気持ちいいぜ、って話です。

 

 

「ケ」の迫力

 

SixTONESのページのタイトルは 

「LAST NIGHT AT THE CLUB」

直訳すると

「昨晩、とあるクラブで」

ってところでしょうか。

 

撮影に使われたのは某有名ホストクラブだったとのことですが、

このタイトルの「CLUB」は特にホストクラブに限定した意味ではないと

筆者は思いました。

だってSixTONESをホストっぽくしようと思ったら

めちゃめちゃ本物っぽくなるはずですからね。(某テレビ誌連載参照)

 

今回の衣装は3パターンありましたが、

いかにもホスト! って感じのものは含まれませんでした。

ここでは3パターンの衣装を便宜上

「白シャツ」「デニム」「セレブ」

と呼ぶことにします。

まあ敢えて言うなら「白シャツ」バージョンが

「みんなで岩盤浴に行った後のホスト」

に見えなくもないけど、多分そういうことじゃない。

 

「クラブ」とは元々は「会員制の団体」を指す言葉で、

日本でのみ、それが「接待飲食店」の意味で広がったらしいです。

今回の一連の写真作品における「クラブ」は本来の意味に近く、

被写体であるSixTONESに求められた役割は

「夜な夜な秘密クラブに集う謎の男たち」

みたいな感じだったんじゃないかと推測します。

 

さて、ここで「ハレとケ」の話に戻ります。

前述の通り、筆者にとって蜷川ワールドは、

・スタジオに組み上げられた華美なセットや散りばめられた花

・とても普段着にはできないような衣装とメイク

・それらによって構成される非日常的で幻想的な空間

というイメージでした。

ともすれば儀式的なものにすら見えてしまうそれは、まさに「ハレ」の存在。

 

ところがMgirlにおけるSixTONESはどうでしょう。

撮影場所はスタジオではなくロケでした。

つまり、現実に存在する空間の中にそのまま入っていったわけです。

見たところスモークとかも焚かれてませんし、

おそらく照明も普段の店内の状態に近いのではないでしょうか。

 

筆者はホストだったことがないので

「ホストクラブは日常的な空間だ」と言い切れるほどの経験は積んでいませんが、

イメージしていた蜷川ワールドと比べれば

かなり「ケ」寄りな空間に見えます。

 

衣装だって、着こなし方が随分とセクシーではあるものの、

きちんと前を閉めれば普通……いや、それでも普通ではないけれど、

「こういう男、銀座か六本木あたりにいそう」

って印象を与えるくらいの「ケ」感が出てると思うのです。

 

筆者が「ケ」を特に強く感じたのは7ページのきょもの写真です。

派手な柄シャツにモッコモコでフワッフワなコート。

光と影の狭間でなにかを考えているような表情。

これを見たときに真っ先に思ったのが、

京本大我はジャニーズに入らずに別の仕事で成功を収めていたら

こういう生活を送る男になっていたんじゃなかろうか……?」

という感想でした。

 

割と序盤でそんなことを思ってしまったせいか、

他のメンバーの写真もそんな風に見えてきてしまいます。

若くしてなんらかの分野で成功し、

金にも女にも困ることはないが、

なんとなく人生を物足りなく感じている男たちが、

似た境遇の者たちと夜な夜な集ってなにかをしている。

誌面にはテキストがないのでただの妄想に過ぎませんが、

筆者にはこんな世界が見えてきました。

 

そのときのツイートがこちら↓

 

この「文字数」の部分を今ここで書いているわけなんですが、

大事なことなのでもう一度言うと、

ごりごりに雄で、生々しくモテで、

作り込まれてるのに自然体で、よくわからんが最強

だったんです。

 

そして10日間考えた結果辿り着いたのが、

SixTONESはあの蜷川実花に「ケ」を撮らせた男たちだったんだ

という結論です。

 

これは確信を持って言いますが、

「ハレ」のSixTONESもはちゃめちゃに美しかったはずです。

それこそ「なんかの神聖な儀式の生贄かな?」って思ってしまうくらいに、

妖艶で、それでいて無垢で……みたいな世界観を表現することは

可能だったでしょう。

それに、「そういうニーズ」があるのもわかってたんじゃなかろうか。

 

ところが、作品になったのは

「ケ」の迫力を最大限に見せつけるSixTONESの姿でした。

「こういう男たちが集う空間が、この世のどこかにあるのかも」

と思わせながら、しかしそのビジュアルの強さから

「我々庶民には手の届かない人たちだ」とも思わせる。

それって結構難しいと思うんですよね、

撮られる側も、撮る側も。

でもきっとSixTONESにはそれができると、蜷川氏も思ったのでしょう。

 

蜷川氏ご本人のツイートによると、

アシスタントさん(スト担)の熱心な布教活動により

SixTONESYouTubeをたくさんご覧になって、ファンになったとのこと。

これだけではどの動画をどれだけ見たかはわかりませんが、

もし満遍なくいろいろな動画に触れたのだとしたら、

ボケっぱなしで笑いっぱなしのSixTONESも、

圧倒的なオーラと表現力を誇るSixTONESも、

両方ご覧になっている可能性が高い。

言い換えれば、

「親しみやすさ」と「存在の遠さ」を併せ持つ

新世代のアイドル・アーティストとしてのSixTONES

興味を持ってくれた可能性が高い。

 

その上で、

SixTONESを撮るなら生々しい「ケ」の世界でいこう

と決断されたのだとしたら、ものすごく自然な流れだなって。

まあ、全部妄想なんですけど、しっくりきてしまいました。

 

 

対極的な二つの才能

「ハレとケ」の話はここまで。

ここからはさらに主観的に「SixTONESすげぇ」って話をしたいと思います。

 

今回のMgirl、もちろん当然6人ともすごかったんですけど、

特に筆者が「さすがだぜ……」と舌を巻いたのが2人。それは

ジェシーと北斗です。

 

ジェシーは長年レギュラーモデルをやってきた実績がありますし、

北斗は最近女性誌に引っ張りだこ。

雑誌載りまくりのSixTONESの中にあっても、

特に撮られ慣れている2人だと思います。

 

ところがこの2人、

同じ仕事でもアプローチの仕方がまるで違う、

寧ろ真逆なんじゃないか

と筆者は感じましたので、

そのことをつらつらと書いていきたいと思います。

 

まずは北斗。

13ページのソロカットにしろ、

デニム衣装のきょもほくツーショットにしろ、

すごく抽象的な言い方しかできないんですが、

「うわっ、バッチバチにスイッチ入ってるな」

って思いました。

この「スイッチ」とは、言うなれば「演技スイッチ」ですね。

 

おそらく彼はこの撮影に臨むにあたり、

事前に説明された設定や被写体に求められる役割を、

ドラマや映画に出演する際の役作りと同じレベルで練り上げて、

そしてカメラの前に立ったんじゃないでしょうか。

その結果、

もしかしてなんらかの別人格が北斗の体に憑依しているのでは?

と思うくらい、普段の彼とは違う顔をしています。

 

なので、ただ黙って写っているだけでも、

見る者はそこに「ストーリー」を感じずにはいられない。

この美しい男性は、普段はなにをしている人で、今何を考えているんだろう、

と妄想を掻き立てられてしまう。

そのおかげで、作品全体に深みが生まれる。

これは言わずもがな、とんでもなく素晴らしい才能です。

 

北斗のこの

「演技スイッチをバッチリONにしてカメラの前に立つ」

というスタンスは他のお仕事でも存分に発揮されていて、

CLASSYの「後輩の松村くん」シリーズや、

MOREのウェディングリング特集なんかが

まさに「それ」って感じですよね。

世の女性の理想を具現化するために生まれてきた男なのか?

って思ってしまうほどに、いちいちハマっているからすごい。

生まれ変わるなら松村北斗になりたい。(突然なに言ってんの??)

 

さて、対するジェシーはと言うと、逆に

「スイッチOFFの状態でカメラの前に居る」

ってスタンスなんじゃないかと思います。

もちろん完全にOFFってるわけじゃないです。

OFFっている「ように見える」というところが肝心。

 

ジェシーがFINEBOYSでやってきたモデル業は、

どんな服を着て、どんな場所に立っていても、

自然体に見えることが必要とされるお仕事

なんじゃないかと筆者は思います。

 

当然いろいろと細かい設定はあるでしょうから、

何にも考えずにカメラの前に立ってるわけではない。

でもシャッターが切られる瞬間には

「特別なことなんてなにもありませんよ」という顔をする。

それが「OFFのように見える」という状態です。

 

12ページのジェシーは、

夜の帝王みたいな格好をして、

帝王の玉座みたいなとこに座っているくせに、

なぜかそれがとんでもなく自然体に見えます。

「俺は毎晩こうですけど?」みたいな感じに見えます。

いやいや、そんなはずないでしょ。

あんた元気な23歳児でしょ。

ってツッコミたくなるけど、でも悔しいくらい似合ってる。

この場にこうして存在していることに、この上なく説得力がある。

見る側が勝手に妄想してしまう北斗のパターンとは違い、

考えるまでもなく納得させられてしまう感じ。

これはこれで本当にすっごい才能です。

生まれ変わるならジェシーになりたい。(どっち???)

 

さて、残る4人も決して劣っているわけではございません。

今回はたまたま「すげーな」と思った2人のカットが見開きで並んでいたので

あれこれ考えずにはいられませんでしたが、

他の写真の表情からも「ON」と「OFF」の才能はビンビンに感じます。

完全に主観、っていうかもはや「勘」ですが、

きょもと髙地はどちらかというと北斗寄りの「ON」の人な気がします。

そして樹と慎太郎はジェシー寄りの「OFF」方面。

 

別の媒体の別の写真になれば、

ON/OFFを巧みに使い分け、

今回とはまた違う顔をみせてくれるのかもしれません。

こういう視点でSixTONES鑑賞をする楽しさに気付けたという点においても、

Mgirlは実質タダだった

と断言したいと思います。

 

長くなりましたが今回はこの辺で。

前回のブログでお知らせしました「スト担分布調査」、

現在絶賛回答受付中でございます。

とても面白い結果になっていますよ。発表するのが楽しみです。

でももう少し参加者が多い方がもっと楽しいと思いますので、

まだやってないよ、やってもいいよ、という方は、

是非こちら↓からご参加くださいませ。

ma2boxxxxxx.hatenablog.com

 

次回の記事を書く頃にはデビュー曲が披露されているんでしょうね。

いやぁ……シンプルにやばい……。

もしそれについて言語化できそうだったら書きますが、

語彙力ぶっ飛んだら別の企画をお送りします。